死刑の歴史を遡ると、現代からでは想像できないような残酷な刑罰が行われていたことがわかります。死刑の誕生から現代の潮流までを、要点を絞って紹介します。
世界各国の死刑の歴史については改めて紹介するのでお待ちください。
以下は衆議院調査局法務調査室の資料を元に、ポイントをまとめて記事にしています。
死刑の誕生
日本で死刑が刑罰として出現したのは紀元5世紀前半、仁徳天皇の時代と言われています。
当時の執行方法は「絞」「斬」「焚」があり、処刑後に梟首(さらし首)にする刑も規定されていました。
時代を進めて律令制の時代に入ると「絞」と「斬」と2種類の刑になりましたが、773年に「格殺(殴り殺す刑)」が追加されて3種類になりました。
中世〜近世の死刑
鎌倉時代に入り鎌倉幕府が政治の実権を握ると、幕府は死刑と流刑のみを残し、律令で定められていた他の全ての刑を廃止しました。特に重罪の場合には梟首にしました。
室町時代に入っても鎌倉時代の刑罰制度をほとんど引き継いだとされています。
戦国時代に入ると死刑は残虐な刑罰へと発展しました。見せしめになるような厳刑主義を敷き、現代の刑事政策で言うところの一般予防にあたる威嚇を見込んだと思われます。
この時代の死刑には、磔、逆さ磔、串刺、鋸挽、牛裂、車裂、火焙、釜煎、簀巻の種類があったとされています。
江戸時代の前期は戦国時代のような残虐な刑罰が行われていましたが、八代将軍吉宗の時代に「公事方御定書」が制定され、以後の裁判の基準とされるようになりました。
現代の死刑にあたる罰には「下手人」「死罪」「獄門」「磔」「火焙り」「鋸引き」の6種類が定められ、罪の重さに応じて執行されました。
御定書では現代から見れば残酷な刑罰が規定されていましたが、中世と比べると穏やかな内容になっています。
近代以降の死刑
明治元年の仮刑律では死刑は刎、絞、梟の3種類に定められ、明治3年の「新律綱領」と同6年の「改定律例」では斬、絞の2種類の死刑を採用しました。明治13年施行のいわゆる「旧刑法」では、死刑を絞首刑に限定しました。
明治41年から施行された現行の「刑法」では旧刑法と同じく絞首刑が規定されていますが、同時に施行された陸軍刑法と海軍刑法では銃殺が規定されていました。
死刑の廃止に向けた動きと世論
平成6年に超党派の議員で構成される「死刑廃止を推進する議員連盟」が発足し、与野党100名を超える議員が参加しました。平成20年には終身刑を創設することを目的とした超党派の連盟も結成され、与野党およそ100名の議員が参加しました。
一方で世論は死刑の廃止に消極的であることが世論調査から読み取れます。
2020年1月の調査によると、
「死刑は廃止すべきである」が9.0%、「死刑もやむを得ない」が80.8%となっています。
死刑制度廃止を推進している日本弁護士連合会は、政府が死刑制度に関する情報公開を進めていないために、日本の世論が国際的な潮流とかけ離れてしまっていると指摘しています。
